紫イペ情報館

文献

ブラジル植物群の素晴らしい薬草(3)

紫イペの歴史

1962年頃癌治療における紫イぺの内部樹皮の煎じ薬がもたらした素晴らしい効力に関する情報を手にすることが出来ました。サンパウロ大学ルイス・デ・ケイロース農学部教授は薬用植物、その中でも特にブラジル産のものに対し格別の興味を抱いていました。

信用ある確かな筋から聞いた情報の重要さが縁で、ブラジル、バイーア州及び東方地域全般に広がって自生する紫イぺの医薬機能を細心の注意を払って研究し始めました。なぜなら、そこから人類にとって新しい希望が生まれつつあるからでした。即ち人類にとって最も悪病である癌の治療もそこから始まろうとしていました。幾年月にわたって様々の進行段階にある、あらゆる種類の癌に罹った、何百人かの患者に最初は内部樹皮の煎じ薬やチンキ剤を服用させてみました。結果は驚くべきものがあったのです。

患者の完治に成功した例や、病気の進行を阻止し、病状が改善された例、末期の症状の患者の場合は、苦痛のない死、つまり大往生させることができました。

このような奇跡をもたらした薬草の事実は、すばやく世間に広まりました。

新聞、テレビ、ラジオを通じて報道されました。また、数え切れない国内外(アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ポルトガル、イタリア、ドイツ、アメリカ合衆国等)でそのニュースが報道されました。

国内外での紫イペの薬効の評価がどれほど素晴らしかったか、を証明するため、「バイーア産紫イペ」と題する小冊子の全内容を転載します。


「バイーア産紫イペ」

当小冊子の内容は当時ブラジルにおいて広く読まれていた信望ある「オ・クロイゼ」という雑誌が重大な話題についておこなった詳細な取材記事です。

サンパウロ在住の医師による完治事例に関する証言。発見のストーリーは途方もなく信じ難いものである。しかしこれは、今世紀歴史始まって以来最大のニュースとなるでしょう。それは癌が完治する事実です。

まず最初に言っておきます。厳密には癌の完全治療の発見は、常識ではかり切れるものではなかったということです。これからお話する内容は正直で、真実そのものであると信じて頂きたい。もっと正確に言えば動かす事の出来ない科学的事実と思って頂きたいのです。


因縁話

アコルシ教授は癌との戦いで勝利をおさめた大将軍であることを冒頭で明らかにしておきたい。アコルシ教授に対しては最大の敬意を払うべきである。(これについては後に説明します。)

アコルシ教授の言葉「この事実を公開していいかどうかわかりません。何しろ神秘的な色が濃いのです。」
しかし、教授の純粋な信仰信条(教授は降霊説の熱心な崇拝者である)の名誉を称えるべくこの事実を公開する。

この事実が本当であれ、偽りであれ、真実と直接つながっている。

リオに住むある若い女性の癌患者はいつも病気を癒し給えと神に祈りを捧げていた。ある日一人の修道僧の霊が彼女の前に現れ、紫イぺの内部樹皮を煎じて飲むようにお告げをした。あわれな若い女性は両親に奇跡の話をしたが、病気のもたらす全身衰弱が原因で起こった幻想だとして、両親は、耳を傾けなかった。(彼女はもはや医者から見放されていた)しばらくして彼女は再び夢の中で修道僧に「紫イぺを飲んで宣伝すれば、癌は治る」と告げられた。彼女はご託宣の通り実行した。ちょうどその時サンパウロのカンピーナス市からある家族が見舞いに訪れた時、死にかけていた彼女は、すっかり回復していた。

我々が調べたところ、事実はここから始まったのです。
カンピーナス市の家族は、紫イぺの樹皮を持ち帰った。そのことを知った隣町のアメリカ人歯科医師オルランド・デイ・サンチ氏はその家族と連絡をとり、樹皮を分けてもらった。それは、癌を患っていた兄弟に飲ませたからでした。

デイ・サンチ氏の兄弟は、最後の手術を受けていた。そして、紫イぺを飲用し病気は完全に完治した。この事実は、デイ・サンチ氏自身を通じて我々は確認した。


デイ・サンチ氏の事例

この時点から先の事実は、容易に確かめられます。我々はアメリカナ市へ行き、デイ・サンチ氏と対談することができました。彼はアメリカナ市民からも信頼され、彼自身の証言に確固たる信念を持っていました。若い女性の癌患者の話も我々がアコルシ教授から得たカンピーナスの家族の情報も確認してくれました。


デイ・サンチ氏の証言

あなたがたは紫イぺが病気を治すかどうか聞いていますね。
治しますとも!身近にその良い例があります。私の姉妹の友人でマリア・ヘイスさんという婦人(リオの若い癌患者の女性を見舞ったのはこの婦人です)が私の兄弟の癌治療のために紫イぺを分けてくれました。私の兄弟は舌癌を患っていましたが、本人は知りませんでした。彼は、半身不随になっており、癌の腫瘍がちょうど麻痺した半身に現れました。私の姉が偶然それを発見しました。癌はかなり進行しておりサンパウロ市にある「癌病院」に連れて行き、そこで放射線治療とコバルト治療を受けました。担当医師に「あなたの兄弟の回復は一時的なものですから、今後毎月検査に連れてきなさい」と言われました。それで紫イぺの助けを求めることにしたのです。友人の紹介で紫イぺを手に入れました。紫イぺの内部樹皮で煎じ薬を作り、兄弟に毎日3杯飲ませました。40日後、サンパウロ市の癌病院で検査を受けました。担当医師は「信じられない。舌の潰瘍はすっかり消えている」と言いました。兄弟の舌癌は完治していたのです。

後年、デイ・サンチ氏の兄弟のアントニオは亡くなったが死因は癌ではなく脳溢血でした。疑問に思う人は、サンパウロ市の癌病院で彼の診断カルテを調べれば分かります。

これが唯一の事例ではない。
我々白身いくつかの事例を確かめ、またいくつかの事例の情報を信頼できる人々から入手しました。これらのことについては適当な機会を見て発表することにして、とにかく、革新がどのようにして始まっていったかをお話ししましょう。

1960年頃でした。
アコルシ教授のある友人が教授を訪れ、二人の間で短い会話が交わされました。
・教授は紫イぺをご存じですか。
・知ってはいますが、その効力はまだ分りません。
そこで友人は教授に次の話をしました。(我々も後日、本人に確認しました)

私の姑が1960年、癌のためカンピーナス市のロベルト・ブリット医師の手術を受けました。しばらくたって動脈硬化が原因で(そう言われました)潰瘍が全身に転移しました。姑をカンピーナス市の病院クォタパジエンコ医師とルーカル医師に診てもらったが検査の結果は手遅れでした。
「せいぜい1ヶ月の命です。長くても40日です。」と宣告されました。

その頃からアメリカナ市の歯科医師(ディ・サンチ氏)の助言で紫イぺの煎じ薬を飲みだしました。1964年頃のことでした。姑は激しい痛みにおそわれ、そのためモルヒネの注射が習慣になってしまいました。食べることも出来なく、栄養分は注射でとっていました。ところが煎じ薬を飲み初めて15日たったころから注射の必要がなくなりました。そして20日目には病気が回復していました。

結論はおおげさに思われるでしょうが、事実です。今では姑は食べることも飲むことも出来ます。寿命が40日しかなかった姑は3年過ぎた今も年金の恩給を受けて、ピラシカ-バ市にあるささやかな家で庭いじりをしたりして楽しく暮らしています。